2017年5月30日火曜日

空間の嗜(たしな)み

殿様と雲助

 「楽あれば苦あり」ということわざは、楽な時もあれば苦しい時もあるという、「時間」軸上の苦楽の意味として使われます。しかし、古いいろはかるたの絵札には、雲助が旦那の乗ったカゴを担いでいる絵が描かれているものがあります。なるほど「どこかで楽をしている人がいればどこかで苦労している人がいる」という、「空間」上の苦楽として解釈することも可能です。
 
 「遠き慮(おもんぱかり)なければ、必ず近き憂いあり」という論語の言葉も、遠い将来のことまでよく考えて行動しないと、必ず近い将来困ることが起こる、という「時間の遠近」で使われますが、「遠き慮り」を遠い世間のことまで考えた広い視野、「近き憂い」を身近なトラブルと言う風に「空間の遠近」で解釈しても、「視野が狭いと些細なことが心配になる」というような、もっともな教訓として捉えることができると思います。

 

人生という空間

 時間と空間というのはグラフの縦軸と横軸のように切っても切れない関係にあるように思います。森羅万象はすべて時間と空間の中にあります。私たちは「人生という時間」と共に「人生という空間」も生きているのです。
 
 慌ただしい日常の中、現代人は時間を絶えず意識しています。通勤中、仕事中、食事中、睡眠時間、見たい番組の時間、休日の外出…。時計を見なくても、あちこちから聞こえてくる音楽や機械音が発するリズムが時を刻みます。

 
 しかし、時計もなく、テレビやラジオから音楽が流れてくることも無かった時代、人々は時間とか空間という概念をはっきりと分けて意識していなかったのではないでしょうか。
 太陽や月の動き、雨や風、せせらぎや波の音、人の声、鳥や虫の鳴き声…。
 あけぼの、黄昏時、夜のとばり…。
 すっかり日が暮れるまで夢中になって遊んだ子供の頃のように、むしろ時間と空間が一体となった「間」や「気配」、「雰囲気」を敏感に感じ取っていたのだと思います。
 

「時」は金なり 「空間」は…

 さて、現代の日常生活において、時間だけでなく、もう少し「自分が今どんな空間に身を置いているか」ということも積極的に意識してみたらどうなるでしょうか。
 
 たとえば通勤時間。満員電車や渋滞の車内で情報収集や語学学習をするのは、時間を有効に使うという点では良いアイデアですが、空間的には寂しい気がします。一方、人や自然を眺め、季節を五感で感じながら自転車で通勤する場合は、「通勤空間」が充実している感じがします。

 
 たとえば休日。私の場合、今日1日という「時間」を有意義に使おうと思うと、家の中でだらだら過ごすよりは、どこかへ出かけて、「今日も何かしたぞ」という充実感を得ようと考えます。しかし、今日という「空間」を充実させようと意識したとき、真っ先に思いつくのは身の周りを整えることです。

 
 庭の草刈り、花壇の手入れ、部屋の片付け、そして犬や猫にもブラッシング。
 気持ちもスッキリ、庭も家も生き物も、身の周りのみんな生き生きと美しく輝きだす中、好きな音楽を聴きながら紅茶を一杯。
 ほとんど丸一日かけてようやく手にする至福のとき
「生きている間に、あとどれだけこの空間に浸っていられるだろうか…」。
「時は金なり 空間は幸福なり」。
 いわば「空間の嗜(たしな)み」といった趣きです。
 
 「慌ただしく忙しい毎日から脱出したい…」。もしかしたら「時間」よりも「空間」にそのヒントがあるかもしれませんね。




2016年1月30日土曜日

生活を整える

 人が何か作業をすると、材料や道具やらがあちこちに散らかって、乱雑になります。そこで、ひと区切りついたところでゴミを捨て材料や道具を元の場所に戻し、燃料を補給したり、修理や手入れをして整えます。
 毎日の家事に始まり、季節の変わり目、年末年始、人生の節目…。私たちの日常生活は「乱しては整え」の連続です。
 日常を整えておくことは、いざという時にイレギュラーが2重3重に重なり、パニックに陥るのを防ぐという意味で危機管理の基本とも言えるでしょう。

 家を新築、リフォームするのも、「生活を整える」重要な作業だと思います。
 人生の節目に、ご自身やご家族のこれからの生活を長いスパンで見据えて「整える」のです。
 最近はともすれば省エネや予算の情報ばかりが独り歩きし、住宅を建てることをまるで家電品を買うような感覚で考えるような風潮があり、危惧されます。
 もっともっといろんな夢や希望、問題点を出し合い、知恵を引き出し合って、存分に設計の打ち合わせをしましょう。

 団らんや趣味、食事や睡眠、子育て、老後、介護…。
 環境との調和、必要なスペースや空間とそのつながり、コミュニケーションとプライバシー、外装や各部屋の仕上げ材、収納や家事動線、動と静のバランス、省エネや温熱環境、スイッチ、コンセント、設備機器、予算とローン返済…。
 日常はもちろんの事、いざという時も住まいが自分や家族の味方になってくれるように、予想される様々な事態をシミュレーションし、知恵や工夫を間取りや仕様に仕組んでいきます。
 
 住宅の設計というのは、住む人がこれから生きていく上での様々な要素を整える作業、つまり、「人生を整える」大切な作業だと思います。

2015年7月3日金曜日

物を捨てる悩みは人類史上初?

物を捨てるというのは大変なことです。

 「戦争中の物のない時代を知っているから捨てられない」というような言葉を時々耳にしますが、高度経済成長期に育った我々の年代でも、捨てられないのは同じです。

 そもそも、生命の進化の過程で有り余るほど物が溢れていた時代があったのでしょうか。
 
 食料にしても常に足りないのが普通で、病気になるほど食べ物が溢れている環境は、ほとんど無かったことでしょう。ですから、あればあるだけ食べようとするのは生存のために必要不可欠な本能で、ダイエットで痩せるということが難しいのは当然だと思います。
 食料以外の生活物資や家財道具も同じだと思います。あればあるだけとっておく、もらえる物は何でももらっておくのが生存のためには当然正しい選択でした。

 しかし、今や増えすぎた物が限られた生活空間を埋め尽くし、人の暮らしを豊かにするはずが、かえって圧迫するようになってきました。
 せめて不要な物だけでも捨てよう。「でも壊れた物ばかりではないし、何かの時には使えそうだな~。もったいないな~。リサイクルできないかな~色もキレイ、形もかわいい。思い出が…」。
 捨てさせまいとする側はすでに感性、感情にまで進化していて体に染みついています。
 一方、捨てる側は「不必要になった理由や理屈」を並べるのがやっと。まだ歴史が浅く、頭で考えているレベルです。これでは勝ち目はありません。
 最近、「ときめき」を基準に物を捨てるという本が流行っているそうですが、これは捨てる側も感情に訴えるという意味では、画期的な発明と言えるかもしれません。

 「物を捨てられない」のは、何億年もの進化の過程で身についたDNAのなせる仕業だと思います。
 もしかしたら、物を捨てることで悩むのは「人類史上初」ということになるんでしょうか?

2015年5月2日土曜日

老化への対応は早め早めに

 先月、父が81才で他界しました。10年近くにわたる介護の経験から、「どんな対応をするか」ということだけではなく「いつ対応するか」つまりタイミングが意外に重要だと思いました。
 
 医師の診断が下り、ある程度の期間にわたって介護が必要となることが予想されました。その時私が、両親の住む家を改築して「介護に適した部屋を作ろう」と提案したところ、意外にも父に「今でさえ夜中に起きてここがどこだか解らなくなることがあるのに、これから家をいじるのはよしてくれ」と言われました。
 必要に迫られてからでは時すでに遅し。頭も体ももう少し若いうちに準備しておくべきでした。
 
 それではせめて玄関の上がりかまちの段差を少なくしようと、踏み段を置いたところ、たちまち転倒してしまいました。幸い怪我はありませんでしたが、父にとっては「上がり下りのしやすさ」よりも「慣れ」の方がはるかに大きな要因だったと気付かされました。
 
 あちこちに取り付けた手摺は有効でしたが、これも時々「ここに手摺があるよ」と言ってあげないと、気付かない場合がありました。
 
 一方、早めの対応が功を奏した事もありました。
 
 介護生活が始まって間もなく、父の通院の途中で、母が運転中に事故を起こしました。幸い二人とも軽傷の自損事故で済みましたが、一つ間違えば…。私は悩んだ末に運転をやめてもらいました。
 無理をしなければまだまだ自分で運転できた母は残念そうでしたが、1年ほどすると「むしろよかった」と言ってくれました。
 
 それはバスやタクシー等を利用するにも、それなりの適応力が必要だったからです。「その気になればまだ自分でも運転できるくらいの能力があるうちでないと、新しい(?)交通手段にも対応できなかっただろう」ということです。
 
 年をとってからこれまでの習慣を変えるというのは簡単なことではありません。家の改修に限らず、専門医の選定、公共交通機関や介護サービスの利用など、「老い」への対応は、変化への適応力が残っているうちに家族で良く話し合い、早め早めに対応していくことが大切だと思いました。
在りし日の両親 2014年8月 群馬の森にて

2015年4月4日土曜日

住宅の「無用の用」

高校に入学して間もなく、漢文の授業で、「無用の用」という老子の言葉を習いました。
「役に立たないように見えるものが、かえって大いに役立つこと」という意味です。
 
 例えば、器といえば、陶器や木、ガラスや紙の茶碗やコップなどを思い浮かべますが、実際に食べ物や飲み物を入れるのに役立っているのは真ん中の空洞部分です。
 普段は意識することもないただの凹みが、実は大切な働きをしているということになります。
 
 住宅にも同じ事が言えます。
 通常、私たちはは柱や床、壁、天井、窓など、目に見えるものだけで住宅を捉えがちです。しかし、人はシロアリやネズミのように柱や壁の中でコソコソと暮らしているわけではありません。
 実際に私たちが暮らしているのは、柱や床壁天井、窓などで作られた空洞部分、つまり室内空間なのです。 


 我々建築業者が基礎をつくり、土台をまわして柱を立て、梁を渡して屋根を掛けているのは「何のため?」と言われれば、「空間をつくるため」に違いありません。
 
 ということは… 我々「建築屋」は「空間屋」ということになりますね。

2015年3月6日金曜日

水槽に学ぶ「住まいの環境」

 会社のロビーで大きな海水魚水槽を始め、11年が過ぎました。
 現在、縦横60cm、長さ1.8mの水槽で、16匹の魚とナマコ、イソギンチャク、サンゴ達が元気に育っています。
 餌やりの他に毎日バケツ2杯分の水換え、毎週休日にはガラスや浄化装置の掃除、その他人工海水を作ったり、照明や殺菌灯、ポンプのメンテナンス‥。
 コツコツと11年も続いたのは、魚やサンゴが可愛くて美しいというだけでなく、水槽の管理は家づくりと共通することが多いからです。
 中でも私が最も勉強になると感じているのは石のレイアウトです。
 

魚たちの「秘密基地」

 水中を泳ぎ回っている魚たちも、夜間や異変を感じた時は、たちまち石やサンゴの陰に隠れてしまいます。また、時として寝床となる石の窪みやトンネルの縄張争いで激しいバトルを繰り広げます。
 どうやら我々が普段、空気に棲んでいるとは意識しないように、彼らも水を意識することはなく、石や砂、サンゴに住んでいると感じているようです。
 
 そこで、それぞれ個性的な彼らがどんな「秘密基地」を必要としているのかを観察しました。
 親分肌のキイロハギには体に見合ったやや大きめの竪穴洞窟が必要なようです。
 人間のように横になって寝るナンヨウハギは体をはさんで固定する横穴のスリットが必須。
 相部屋が好きなアカネハナゴイに個室派のデバスズメダイハシナガベラは…ミナミハコフグは…。
 お客様の要望を取り入れながら家の間取りを考えるのとそっくりです
 

退屈させない工夫

 夜、安心させるだけでなく、昼間、退屈させない工夫も重要です。
 広くて綺麗な南の海から連れてこられたのですから、せめて「ここはここで悪くないね」と思ってもらいたいものです。
 
 そこで、それぞれの「秘密基地」を利用しながら、石のレイアウトをさらに工夫します。
 回遊コースを複数想定し、くぐるところ、すり抜けるところを作ります。さらに、突っつくところ、砂を吹くところ…。寄せては返す波のようにイソギンチャクをそよがせたり…。
 水流、光の当たり方、サンゴの成長も計算に入れて石を組みます。
 
 「飼育」だけでなく「鑑賞」も大切な目的ですから、見た目にも美しく、あたかも自然による偶然の造形であるかのように…。
 まさしく建築や造園と同じ。条件が厳しいほどワクワク係数が上がります。
 

家づくりも環境づくり

 ハコフグやナマコは別として、ほとんどの魚は直接触れることができません。私にできることは、間接的に彼らの環境を整えてあげることだけです。
 でも、環境さえ良ければ、魚もサンゴも健康で生き生きとして、見た目も色鮮やかで美しいものです。石と住みかを改善したことで、魚たちの寿命は劇的に延びました。
 
 そこに住む人にとって良い環境とはどんな環境かを考え、それをどうやって作り出し、維持していくか…。
 家づくりも水槽と同じ。いゃー 勉強になります。

2015年1月29日木曜日

住まいづくりの「ワクワク係数」

 最近、あちこちで「ワクワク○○」という言葉を耳にします。今年の箱根駅伝で優勝した青山学院大学は、「ワクワク大作戦」を合言葉に走ったそうです。
 当社でも以前から、打合せの時にたびたび「ワクワク係数」という言葉が飛び出しています。例えば要件を満たす2つの案のどちらが良いか迷った奥様が、「こっちの方がワクワク係数が高いわね!」という具合です。

 今から25年前、建築の仕事を始めるにあたり、勉強のために北米、北欧を中心に、木造住宅をテーマにした世界一周旅行をしました。
F.L.ライト設計の落水荘 (ピッツバーグ近郊)
 カナダ、アメリカ、フィンランド各地で知人を頼ってのホームステイ。オレゴンでの寮生活。フランク・ロイド・ライト設計の「落水荘」をはじめとする有名建築家の作品群。緑豊かな住宅街もあれば、砂漠の中に突如出現する住宅団地もあり。北欧の野外博物館に建つ古いログハウス。注文住宅、建売住宅、中古住宅、オープンハウス‥。
A.ガウディ設計のカサミラにて (バルセロナ)

 帰国後、様々な住宅や生活の体験を振り返ってみた時、中でも思い出しただけでワクワクするような住宅には、共通した3つのキーワードがあると感じました。

1つは「環境」です。
 良い住まいは周囲の環境と良く馴染んでいました。それは、単なる意匠のテクニックではなく、設計段階において街並みや風景、歴史や気候風土、地形などからのアプローチが十分に練られている結果だと思われます。
 また、家の中も自然と触れ合うインテリアデザインとなっています。つまり、光や風との対話、人に優しく温もりを感じさせる内装素材、潤いを与えてくれる植栽、眺めのいい窓、暖炉など。室内空間を単なるハコではなく、人が暮らす環境として捉えていると感じました。
 さらに、土間やポーチ、デッキやパーゴラなど、「内」と「外」という異なる環境をつなぐ工夫のバリエーションも、ワクワク係数をグングン高めてくれます。

2つ目は「個性」です。
 印象的な家にはそこで暮らすクライアントの個性、すなわち住む人の「その人らしさ」が良く表れていました。
 それは間取り、色や形、材質やディテールなどに表れるその人の性格や好み、価値観や人生観であったり、都会的かカントリー調かといったライフスタイルであったり、さらにはアトリエや書斎、ジャクージーやガレージなどの趣味の空間であったりします。
 それも外から形だけを持って来て真似たのではなく、住む人自身の中から出てきたオリジナルであることに益々ワクワクします。

3つ目は「コミュニケーション」です。
 暖炉のあるリビングや暖かみのある照明計画。家族や友人でシェアできるアイランドキッチン、キッチンとダイニングの適度にオープンなつながり、ホームパーティーを意識した間取りなど、家庭内の「だんらん」と家庭を取り巻く人々の「もてなし」を上手に演出し、心と心が通い合う住まいも愛情ワクワクです。

 「環境」「個性」「コミュニケーション」。
 ワクワク係数の3つのキーワードは、国の内外、時代の新旧を問わずに共通した要素だと思います。私もこの体験を家づくりに生かしてきました。
 3つのキーワードを基本コンセプトに、さまざまな要望や提案を出し合って一緒にプランを練り上げていく過程は、それ自体がお客様にとっても、私たちにとっても実にワクワクする体験です。
 もちろん敷地や予算などの制約はありますが、人や自然を結び、住む人それぞれの「らしさ」を大切にして、出来るかぎり「ワクワク係数」の高い住まいづくりをこれからも続けていきたいと思っています。
AO邸(高崎市) 設計施工:中島林産(株)

2014年9月30日火曜日

暑い夏 寒い「…」

 今年も温暖化により増大したエネルギーが猛威をふるっています。
 大雪、台風、落雷、突風や竜巻、ゲリラ豪雨、土砂災害…
 尾瀬ヶ原の花粉分析などによると、8世紀半ばから13世紀末にかけても現在のように温暖だったようで、「奈良・平安・鎌倉温暖期」と呼ばれているそうです。
 
 落雷による都の大火、干ばつや大雨、洪水、疫病の流行…。
 科学などというものは無かった時代、雷ひとつとってみてもその正体も対処法も分からなかった時代、人々の恐怖や不安はいかばかりであったでしょうか。
 戦乱や頻繁な遷都、たたりや怨霊にまつわるさまざまな風評、陰陽師の台頭などに、当時の人々の気持ちが偲ばれます。

 奈良の大仏建立の背景にも、こうした社会的不安があったそうです。初代の「東大寺大仏殿」は、高さ約37m、奥行約53m、間口は現在のものより広い約86m。世界最大の木造建築物でした。


 「寝殿造り」と呼ばれる貴族の住宅も平安時代のものです。板張りの高床で衝立(ついたて)や屏風で仕切られた、吹きさらしのような造り。歴史の教科書の挿絵を見て「寒くなかったのかなー」と誰もが思ったはずです。

 14世紀の初頭に書かれた兼好法師による「徒然草」には、「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑きころわろき住居は、堪へ難き事なり。」とあります。エアコンの無い時代、近年のような猛暑が到来すれば、なにはさておき暑さ対策ということになったでしょう。

 
 しかしその頃からすでに気候は寒冷化に向かいはじめていて、やがて17世紀をピークとする「小氷期」が訪れます。兼好法師がもう少し長生きしていたら、「冬をむねとすべし」と言っていたかもしれません。そして、20世紀になるとまた温暖化に向かい、現在に至ります。
 家の造りや建築物の歴史は、その時代の気候や社会、人々の気持ちを反映し、懸命に適応しようと試みた歴史でもあったのです。

 さて、現在の住宅や建築物を見て、後の人々はどんな時代を想像するのでしょうか。

 CO2削減、大地震のリスク、気候変動、デフレ経済、緊縮財政…。「暑い夏」に「寒いフトコロ」。最近の住宅の省エネ化やローコスト化はこうした自然的、社会的環境変化への適応の現れとも言えます。

 だからといって、そのことばかりに気を取られていると、「時代に適応」するのではなく、いつしか「時代に翻弄」されているだけになってしまうかもしれません。住宅の設計で忘れてならないことは、どんな時代や環境であっても、住む人の感性や価値観、生き方を尊重し、住まいを「住む人に適応」させることだと思います。

 住まいは、なによりも住む人「あなた」自身に最もよく適応していなければならないからです

2014年3月4日火曜日

「間取り」と「部屋取り」

ワクワク係数

 以前、新築されて2,3年たったお客様から
「家事をしながら家の中を動き回っているだけなのに、何でこんなに楽しいのかしら」
 と言われたことがあります。
 設計の打合せをしている時でも、とてもシンプルなプランなのに生活の流れやリズムが感じ取れてワクワクする時もあれば、採光や風通し、動線、使い勝手などは申し分ないはずなのになぜかワクワクしないプランに悩む時もあります。
 この「ワクワク係数」の違いがどこから来るのか考えているうちに、「間取り」という言葉に答えがあるような気がしてきました。
 

間取りと部屋取り

 そもそも「間」とはなんでしょうか。
「間が悪い」「間延びする」「間抜け」「間合いを取る」「間を空ける」「彼の持つ独特の間」など、通常私たちは人や自然、リズムやタイミング、環境やエネルギーなどが作り出す「その場の雰囲気」を表す時に「間」という言葉を使っているような気がします。
 まだ「時間」と「空間」という言葉や概念がなく、そういったものを一緒くたに感じていた頃の古い言葉なのではないでしょうか。
 
 人は住まいの中に様々な「その場の雰囲気」を求めます。
 緊張する雰囲気やリラックスする雰囲気、活発な雰囲気や落ち着いた雰囲気、力が集中する雰囲気や拡散する雰囲気などなど。
 「間取り」の「間」とはこうした「空間の持つ雰囲気」のことと言えないでしょうか。
 雰囲気や空間ですから必ずしも境界や輪郭がはっきりしているとは限らず、目で見るよりは五感で感じるもの、空気かエネルギ-の塊のようなものと考えられます。必ずしも壁や天井で囲まれた「部屋」を意味するものではないようです。
 

間取りと間仕切り

 したがって「間取り」は家の中にいろんな「間」を仕組むことであり、「生活の様々な場面に適した雰囲気の場を作ること」といえるのではないでしょうか。
 そして「間仕切り」はそんな間と間の関係を調整する役割をしているのだと思います。ですから壁や建具で仕切ってはっきりと雰囲気を変える方法だけではなく、距離や仕上材の質感、色、光や窓の加減、天井や床の高低差、目線をさえぎる柱や手摺、格子、家具、温度の高低差を利用するなど、気配を残して緩やかにまたは曖昧に変える方法も考えられます。心の中だけに存在する間仕切りもあるかもしれません。 
 例えば「田の字」型の古い民家の場合、ふすまや板戸をはずすといくつかの部屋がひとつにつながります。しかし依然として南の窓際には暖かくゆったりとした間があり、北の奥には落ち着きと緊張感を持った間があります。床の間や仏壇、神棚の前には神聖な間が存在し、掘りごたつの4辺には家族それぞれに居心地の良い間があります。そうしたたくさんの間が欄間(らんま)や敷居、鴨居、大黒柱や家財道具、時には畳のへりなどによって、ゆるやかに仕切られています。
 

間を旅する

 さて、みなさんのお住まいにはどんな間がありますか。一つ屋根の下に異なるいくつもの間を感じ取ることができたとき、「家の中を動き回る」と言うことがちょっとした旅行のように楽しくなるかもしれません。
 間を旅するときの心の動きによって、生活に良いリズムやメリハリ、躍動感や生命力、そして豊かな感性や情緒が生まれ、そこから家族に良い生活習慣が生まれ、良い人格が育まれ、良い人生を送れるのが「良い間取り」といえるのではないでしょうか。

2014年2月8日土曜日

日月火水木○土

当社の昼休み。外は寒くても、室内には吹き抜けの大きな窓を通して日がさんさんと降り注いでいます。好きな音楽をバックに、水槽の色とりどりの魚たちを眺めながら日向ぼっこにまどろむひと時。

 窓の外には樹齢五十年のメタセコイアがどっしりと大地に根を張っています。四季折々に表情を変えるその枝越しに、今は真っ青な冬空が澄み渡っています。池の水は冷たく澄んでいて、冬眠状態でじっと整列している錦鯉の色がいっそう鮮やかです。
 日が陰ると薪ストーブに火を入れます。黄昏時の空に月が姿を現す時もあります。使い込まれて年期が入ってきた床板や腰壁、柱や梁に囲まれ、しばし落ち着いた雰囲気に浸ります。

 「日」の光、空や「月」、薪ストーブの「火」、水槽や池の「水」、庭や内装の「木」、そして「土」。
 ともすれば忙しさの中で素通りしてしまいそうな日常のひと時に潤いを与えてくれているのは、「日月火水木土なんだなー」と、ある時気付きました。できればこれに「金」があれば言うことありませんが、それは心の中の宝物ということにしておきましょう。

 こんな時間と空間も、贅沢だと言って片付けてしまえばそれまでですが、ちょっと待って下さい。金はともかく(?)日も月も火も水も木も土も、贅沢でも何でもありません。昔からあたりまえのように身のまわりに存在しているものです。古代中国の五行説によるところの万物を構成する5元素(火水木金土)、それに太陽と月ですから当然と言えば当然です。

 きびしい現代社会の時流に流されず、大切にしたいものやバランスをしっかり見定めて生きるのは至難の業です。でも仕事や生活に効率や便利性を追い求めるあまり、気付いてみたら「日も当たらず空も見えず、電気の光や熱に頼りながら、土から離れた無機的な室内で、身も心もカラカラに乾ききって、金の心配ばかりして生きている」なんてことに日本中が陥ってはいないでしょうか。

 日常に潤いを与え、しかも手を伸ばせばすぐそこにあったはずの「日月火水木○土」。でもしっかり意識して生活の中に仕組んでいかないと、いつしか本当に手の届かない贅沢品になってしまうかもしれません。

2014年1月20日月曜日

ぐんまちゃんと円谷英二の申し子たち

 昨年末の上毛新聞。県庁の仕事納めの記事で、県知事のあいさつをかしこまった姿勢で聞く職員の中に、ちゃっかり「ぐんまちゃん」も混じっている写真が載っていた。
 スーツ姿の真面目そうな人たちと共に整列する異形のゆるキャラ「ぐんまちゃん」。白髪混じりのおじさんたちの中、相当な違和感を感じても良さそうなものだが、むしろ、かたくてそっけないイメージのある役所の式典が、和やかでほほえましい自然な場に感じられた。
 
 その一方で、最近の「ゆるキャラブーム」に対して、「いい大人がなんだ」というような批判を込めた曽野綾子さんのコラムを読んだことを思い出した。確かに我々が子供の頃の大人は、こんな「ふざけたこと」?は考えもしなかったし、許しもしなかっただろう。
 もしかすると外国人がこの写真を見たら、現実離れした奇想天外な風景に映るかもしれない。
 しかし、2013年暮れの日本では、いい大人、それも公務員や知事までもが、当たり前のように「着ぐるみ」と一緒にいる。この現象は単に降って湧いたブームではないのかも…。
  
 子供の頃、円谷プロのテレビ番組「快獣ブースカ」が好きだった。人間ともペットとも違う、大人とも子供ともつかない不思議な生き物が、当たり前のように子供達に混じって遊んでいる。

 後で、円谷英二という人は、この「子供達の中に当たり前のように異形の生き物がいる風景」を描くのが夢だったという話を何かで聞いた。ブースカの少し前に作られたテレビ番組「ウルトラQ」の中の「カネゴンの繭」という話が原型らしい。
 私もブースカと一緒に遊びたかった。「近所にブースカが居たらな…」と誰もが思ったはず。しかし、着ぐるみのキャラクターなどフィクションであることは子供でもわかっていたし、当時はテレビの中か、デパートの屋上という限られた空間でしか存在しないものだった。
 
 あの当時、カネゴンやブースカと暗くなるまで野山で遊んでいた金男や大作、メチャ太郎ら子供達の姿が、ぐんまちゃんと一緒に並んでいる背広姿のおじさん達とダブって見える。あれから50年近く‥ みんな自分と同じ50代60代になっているはずだが…。

 んっ? と言うことは、この背広のおじさん達はまさにあの時代の子供達!
 そうか、みんな円谷英二の申し子なんだ。
 
 そう考えると、着ぐるみのキャラクターが現実の県庁職員として当然のように並んでいるこの写真は、かつて1人の男の抱いた夢が、実に半世紀という道のりを経て実現した歴史的な光景かもしれないと思えるのだ。

2013年10月6日日曜日

住宅設計者の「零戦と堀越技師」

 宮崎駿監督の「風立ちぬ」の主人公で、ゼロ戦の生みの親である堀越二郎氏。私が堀越技師の名を知ったのは、小学校5年生の時でした。
 

零戦との出会い

 小学校1年生の秋に急性腎炎を患った私は、2学期の後半は学校に行けず、家から一歩も外に出られない療養生活を送りました。
 そんな中でも、通院の帰りや、父が出かけたときに時々買って来てくれるプラモデルを作るのは楽しみでした。当初は今井科学のサンダーバードシリーズや、テレビの特撮物に登場する乗り物がほとんどでした。
 
 ある時、仏壇の前に、父が作った零戦21型が飾ってあるのを見つけ、その格好良さにたちまち心を奪われました。
 均整の取れたフォルム。大空を、より高く、より速く、より遠くへ、そしてより自由に飛び回るために到達した最高のバランスがつくり出す美しさを、子供ながらに感じ取っていた気がします。
 クルクル回るプロペラ、引き込み式の脚と車輪、スライドするコックピットのキャノピー、アンテナ、ピトー管等々。当時はそれらが何であるかほとんどわかりませんでしたが、どんな役割や意味があってそこにあるのかを想像するだけでも、架空の乗り物とは次元の違うリアリティーにゾクゾクしました。
 

堀越技師との出会い

 それ以来、すっかり飛行機の魅力に取り付かれた私が小学校5年生になった時、母が「ゼロ戦物語」という本を買ってくれました。それは、少年少女向けに書かれた零戦開発のノンフィクションでした。
 「あの完成された美しい姿の陰には、こんな緻密な裏付けと、こんな壮絶なドラマがあったのか。」
そこに描かれていた堀越二郎技師を中心とする設計者、技術者、テストパイロット達の死にもの狂いの、そして気が遠くなるような悪戦苦闘ぶりは、設計、開発という仕事の重要性と「凄まじさ」を知った最初の体験でした。
 
 その後も、いくつか飛行機やエンジンの開発物語を読みましたが、「相反する要求を満たすためにアイデアをひねり出し、根気強く試行錯誤を繰り返して、最もバランスの良い答えを見つけ出すために、悪戦苦闘すること」は、いつの時代も設計者の常であり、またそれが「設計の醍醐味」であると思うようになりました。
 

住宅と「設計の醍醐味」

 住宅の設計は、先端技術の開発とは違い、技術やハードウエアの面ではそこまで難しくありません。むしろメンテナンスや将来のリスクを考えると、あまり特殊な技術や材料を追い求めるよりも、普通に手に入る材料で、普通の大工さんや職人さんが作れる事も大切な要素であると思います。
 その反面、生活環境としての利便性や快適性、健康やコミュニケーション、教育や介護、家計の事など、身体的、心情的な課題を、それぞれ異なる住み手の立場に立ち、その人の気持ちになって、一生あるいは世代を超えた長いスパンで考える力が必要とされ、技術とはまた別の難しさがあります。
 
 しかし、「たとえ相反する要望であったとしても、それを満たすためにアイデアをひねり出し、根気強く考えながら、最もバランスの良い答えを見つけ出すために、悪戦苦闘すること」が、「設計の醍醐味」であることに変わりはありません。
 少年時代に出会った「ゼロ戦物語」と堀越二郎技師のおかげでしょうか、幸いにして私はこの「設計の醍醐味」が大好きです。